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2014年05月20日

福島第一の原発所員、命令違反し撤退

東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。
■所員9割、震災4日後に福島第二へ

 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。

 とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。

 午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。

 東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。

 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。

 その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。

 吉田氏は政府事故調の聴取でこう語っている。  


Posted by carrie at 11:01Comments(0)

2014年05月12日

「断固容認できず、極めて遺憾」 

福島県は5月12日、物議を醸している4月28日発売のビッグコミックスピリッツ(小学館)掲載の「美味しんぼ」について公式サイトで見解を発表した。問題の号に掲載された美味しんぼでは、福島第1原発の見学から帰ってきた主人公らが原因不明の鼻血を出すといった描写があり、双葉町元町長の井戸川克隆氏が作中に登場し「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と語っていた。ネットでは「風評被害を招く」と批判する声が上がり、福島県双葉町は小学館に抗議していた。

 福島県は「作中に登場する特定の個人の見解が、あたかも福島の現状そのものであるような印象を読者に与えかねない表現」があり、県内外の多くの人に不安と困惑を生じさせており危惧しているとしている。「本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず、極めて遺憾であります」

 小学館から同県に対しては4月30日に、5月19日発売号に掲載する検証記事について、「『美味しんぼ』に掲載したものと同様の症状を訴えられる方を、他に知っているか」「鼻血や疲労感の症状に、放射線被曝(※依頼原文では「被爆」)の影響が、要因として考えられるかどうか」「『美味しんぼ』の内容についての意見」について回答を求める依頼があった。また5月1日には、5月12日発売号に掲載する「美味しんぼ」原稿が県に送付された。その中には放射線の影響により鼻血が出るといった表現があり、作中に登場する人物による「除染をしても汚染は取れない」「福島はもう住めない、安全には暮らせない」などの見解があったとしている。

 福島県はこれを受けて5月7日に小学館あてに「県内外に避難している人も含めて一般住民は(鼻血が出るような)急性放射線症が出るような被ばくはしていない」「除染や物理的減衰などにより、60%以上の着実な空間線量率の低減が見られている」など見解を示した。県の見解を含め、科学的知見や多様な意見・見解を丁寧かつ綿密に取材・調査した上で、偏らない客観的な事実を基にした表現にするよう、強く申し入れているとしている。  


Posted by carrie at 11:54Comments(0)

2014年05月06日

渡辺淳一氏死去

4月30日に亡くなった渡辺淳一さんは、外科医の体験を投影した医療小説で出発し、男女の性愛のかたちに迫る濃密な恋愛小説は多くが映像化され、人気を博した。医学者としての冷徹な目を携えつつ、論理で割り切れない人間の欲望や感情の揺れを愛し、描いた複眼の流行作家だった。

 「僕はね、うまく書けないときにこれを見るんだ」。平成24年に東京・渋谷の仕事場でインタビューしたときのこと。渡辺さんはおもむろに人体解剖図鑑を開いた。「みんな同じ血管や筋肉、神経がついているでしょ。なのに頭の良しあしや足の速さには大きな差が出る。人間って不思議だなあと思って書き残したくなるんだ」。科学の視点からこぼれ落ちる個人の能力や感情に思いをはせ、人間への興味を再燃させる-。浮き沈みの激しい出版界で第一線を張る作家の創造の源を垣間見た気がした。

 執筆歴は半世紀。明治期を舞台に偶然置かれたカルテの上下で人生を左右された男たちを描く昭和45年の直木賞受賞作「光と影」では、人知の及ばない運命の残酷さを見つめた。論理を超えたものにひかれる作家が、最終的に向かったのは人間の性や情、愛欲の世界だった。

 閑職に追いやられた敏腕編集者と美しい人妻との禁断の愛を描く「失楽園」(平成9年)は、1年で250万部超を発行し社会現象になった。「愛の流刑地」(18年)、「あじさい日記」(19年)など、その後の話題作では、異性を求める激しい愛欲とその裏返しの憎しみ、嫉妬が赤裸々につづられた。

 複雑に絡み合う感情を、論議の的にもなった濃密な官能シーンが彩る。一貫した創作姿勢の裏には医大時代の解剖学実習などで死を見つめ続けた体験がある。

 「人間の生命力の根源はエロスであり欲望。そこにいやらしさではなく、いとおしさを感じるんだ」

 語り口は穏やかだが内には激しさを秘めていた。率直な物言いの人生論も人気を呼び、エッセー「鈍感力」(19年)は当時の小泉純一郎首相が引用して流行語に。舌鋒(ぜっぽう)は今年まで30年務めた直木賞の選考でも健在で、「頭脳中心で作品にリアリティーがない」と若い作家に苦言を呈していた。

 大胆な性描写で新聞連載中から話題を呼んだ長編「愛ふたたび」が出版されたのは80歳になる年。70代で前立腺がんを患い、性的不能にも直面した自らの葛藤を注いだ物語で、若手に向けた言葉を実践してみせた。


春日ムキムキ!ボディビルダーデビュー  


Posted by carrie at 10:49Comments(0)